2006'12.13 Wed

街場の現代思想(1)

内田 樹の「街場の現代思想」っていう本が面白かったので、メモ。まだ途中だけど。帯に「身の回りの根源的な問いが、初めて腑に落ちて納得できる本。」と書かれているのだけど、それは・・・うーん。。面白いのと納得できるかどうかってのは別問題かな、と。

まず最初に「文化資本の偏在」によって「階層化社会」が生まれつつあるっていうところ。「文化資本」ていうのは生まれながらにして身につく素養みたいなもので、平たく言うと「育ちのよさ」って事だ。

物を見る目とかマナーとか作法とか、「教えよう」とか「習わせよう」、または「自ら学ぼう」という努力によって培われるものではなく、むしろ、それを得ようと努力すると、どんどん遠ざかっていくものである・・・のだそうだ。そして、階層化社会では「努力とは関係なしにもともとそれを持っていた人が勝ち、総取りする」のだという。

努力すればするほど「後天的に文化的素養を身に着けた」という二流品の烙印を自ら押すことになり、屈辱を味わうことになる社会なのだそうだ。そもそも「他人からどう評価されるか」という事が、自分で自分を、または他人が自分を評価する基準であるとすれば、「持たざる者」にとっては、はじめから負けることが決まっている長いレースを延々走らされるようなもので、ただ辛いだけだろうなあ、となんとなく思う。

自分の努力が正等に評価されないヨノナカっていうのは、あまり好ましいものではないと思うので、そういう階層化された社会(個人の努力と自分の評価の関係がない社会?)になる事を先送りするために、「一億総プチ文化資本家」という概念を提唱してるんだけど、みんなほんとに、そういう「だいたい誰もがおなじくらい」っていうのを望んでいるのかなあ?と思ってしまった。

●負け犬と勝ち犬について

ここがいま読んだなかでは一番面白いところで、「負け犬」つまり未婚・子なしであり、扶養家族に縛られない人たちを「現代のランティエ」と例えている。

ランティエっていうのは19世紀のフランスにおける高等遊民のことで、結婚もせず定職にもつかず、暇をもてあまし、でも生活はそこそこできてしまう人たちのことだ。なんで生活ができてたかっていうと、先祖が残した財産を食いつぶしてるからなんだけど、わかりやすい例としてあげれているのは、シャーロック・ホームズとか明智小五郎とか、ひたすら自分の趣味に没頭して各地を歩き回りつつ俳句をひねりだした松尾芭蕉とか、そういう人たちのこと。

結局、人間ある程度「暇」で「なにものにも束縛されない」っていう状態じゃないと、ただ生活に追われるばかりで、なかなか文化的なものに目が向かないわけだから、つまりそういう暇で小金を持ってる「負け犬」こそ、文化の担い手なのだ!って事らしい。

そろそろ時間切れなので、まとまんなかったけどここまで・・・。

061213.jpg



Blogランキング参加中です。
今日もクリックお願いします♪
人気blogランキングへ

FC2のランキングにも参加中です。こちらももよろしくです♪
FC2 Blog Ranking



自分観察日記:  トラックバック(-)  コメント(-) | ブックマークに追加する
Copyright © びびび絵日記〜それとなく癒されたい控えめな日常〜. All Rights Reserved.