2006'12.18 Mon

街場の現代思想(2)

今朝、弟が母親に叱られて自分のところに鼻水たらしながら泣きついてきて、さらにその様子を見ていた母親から物をなげつけられる・・・という嫌な夢を見て目が覚めた。いつもは半分起きかけくらいのトロトロとした意識で見る夢は(正確には寝てるわけだけども)とても楽しいし、どんな内容だったかったて事もよく覚えているから二度楽しいので、ついつい二度寝をしてしまう。自分ではそれを「二度寝シアター」って呼んでるのだけど、今日はあんまりおもしろい内容じゃなかったので、寝起きの気分はあまりよくなかった。

もともと起きてからエンジンがかかるまで、あまり早いほうじゃないのだけれども、今日は頭痛もするしなんとなく身体も重い。熱を測ってみたら7度3分あった。だから、ほんとうはこうして「今日は風邪を引いて熱があるから、体のあったまるチョーヤ梅酒のお湯割りを呑んでから寝よう♪」とかやってないでさっさと寝たほうがいいのだけれども、この前書いた「街場の現代思想」っていう本の感想文の続きをはやく書いておきたいので、もうちょっと頑張る。

●お金について
人生の価値がお金のあるなしで決まるものなのか、という事について書いてある部分があった。その答えについて明確にイエスともノーとも答えてはいないのだけれども、お金と人間との関係性について書いてある部分が興味深かった。

まず、お金はコミュニケーションツールであり、人間と他の動物を明確に区別する物であり、その目的は何かと何かを交換するためにある。成り立ちとしては「商品」というものがまず先あって、それが余ったから交換するために「お金」ができたのではないという事だ。まず「お金」が先にできていたから、生活に必要のない余分なものまで作る事ができるようになった。

つまり、人間の「何か作ろう」という気持ちとか「労働に向かわせる」原動力になっていると言う面があるという事だけど。もちろん、「金のためにやってるんじゃない」という事だってたくさんあるから、その限りではない。でも、少なくとも衣食住を賄うために最低限のお金は必要なわけだから、それを賄うために働くのだ、という風に考えるとやっぱり「お金」が「労働」へ向かわせるきっかけになっているわけだ。

「お金」を基準すると、自分に対する評価というものが、とても判りやすくなるので、ヨノナカのほとんどの人がそういう評価基準を採用してると思う。でも「お金をたくさん持っている事」と、その人の「人生に価値があるかどうか」という事とは、それほど関係がないことのような気がする。(こういう事を書くと、貧乏人の僻みみたいにしか聞こえないから、多分書かなかったんだろうけど)

必要なツールとして、使ったりある程度ストックしておく分には、その本来の機能を十分に発揮して、人にやる気を与えたり幸せにしたりする事ができるけど、あるレベルを超えると、お金の量が「幸せ」とか「満足感」と比例しなくなる、もしくは反比例するようになる。

つまり、(お金持ちでも貧乏人でも同じ事だけど)必要以上に求めすぎてしまうと、まったく逆の作用があるという事だ。自分の持っているお金というのは「どのくらいの生活が今できるのか」という事のわかりやすい指標なわけだから、自分の望む生活よりも持っているお金が少なければ、生活レベルを落として、その中でなんとか自分なりの満足とか幸せとかを探したほうが健康的で前向きだ。

その上で、少しでも理想とする生活が手に入るように、スキルアップするとか労働時間を増やすとかっていうのが本来のあり方だと思う。

なのに、金貸しの口車に乗せられて「分不相応」な暮らしや物とか、サービスといったものを「借りたお金で買ってしまう」という事とか、目的を見失ってただ「お金」のためだけに何かをするようになると、「お金」はあっという間に、本来の機能を失って、まったく逆の作用をもたらすようになるという事だ。

わかりやすく言うと、ローンで買ったブランド物の財布には千円札一枚しか入ってないような自己破産一歩手前の見栄っ張りとか、利権ばっかり食い漁ってるウンコ政治家とか1から10まで嘘で固めてみんなを不幸にした某IT社長(続行中)とか、もっと極端な例をあげてみると、「銀行強盗」とか「身代金目的の誘拐」というような犯罪行為も、結局はその延長線上にあるのだと思うのだ。

●結婚について
「家と妻と子供」は男の人生における三大不良債権であるって言ったのは、誰だったっけ?ドラマかなにかのセリフだったかな・・・。思い出せないから、まあいいや。って事ばっかり書いてるのは、別に結婚できないひがみとか、「結婚」ていうものを否定しているからでもなんでもない。

この本の中では結婚について、「不愉快な隣人をどれくらい我慢できるか」とか「エンドレスの不快」という感じで述べられている。愉快で楽しい事だけを追求していればいい「恋愛生活」とは、全然別次元の資質が求められる行為であり、つまり、たぶん、もともと「向き不向き」があるって事なんだと思うのだ。その不愉快な相手との共生していく資質こそが人間が人間たるゆえんなのだそうだ。

だから、そういう「人間らしい」人は遺伝子レベルでの競争に勝ち残って、次世代にDNAを残すべき能力があるという事なわけだ。けど、それじゃあまるで結婚して子供を作らなかったら、もしくは結婚生活をまっとうできなかったら人間ではないみたいじゃないか、と思うけど、それは、人間がそれぞれ持っている能力の違いというだけで(確かに生殖能力というところでは劣っているかもしれないが)、人間としてどちらが優れているとか劣っているという問題じゃない気がする。

人間という種が存続していくためには、もちろん子供を作る事が絶対条件なんだけど、「人はパンのみによらず・・・」とキリスト教の神様も言っているように、人間が生きていくためには、パンだけじゃなくてケーキだってお菓子だって食べたいわけだ(意味が違うか)

つまり、なにが言いたかったかというと、子供を生んで育てる事の他に、他にも生み出さなくてはいけない物もいっぱいあるはずで、代わりにといっちゃあなんだけども、時間とお金と暇がある分、他のもの、例えば文化的な事を生み出したり守ったりする事で、またはもっと別の方法で社会に対して再生産をする代わりになにかしら還元していけばいいのだ。それでいいのだ!

とは言いつつ、数十年先、孤独死して誰にも葬式あげてもらえないのはちょっと悲しいので、できれば単身者でも養子がとれるようにするとか、選択肢の幅だけは広げておいてもらえるといいなあ、と思ったり。



他にも、企業におけるワークモチベーションは何故低下していくのか、とか「転職するべきでしょうか」なんて聞くようなやつは、たぶん転職しても失敗する(笑)とか、いろいろと面白い事が書いてあるので、興味のある方はぜひ読んで見ることをおすすめします。

 街場の現代思想
 内田 樹 / NTT出版

といわけで、とりあえず「街場の現代思想」感想文おわり。






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