クソガキだったころ
●昨日のあらすじ
--
田舎からオババが上京してくる日を
すっかり忘れていたびびさん。
オババにモンジロウを会わせようと、
愛犬モンジロウと一緒に実家へ帰るが、
家族にちょっぴり冷たくされ
「うちの家族、犬が嫌いなのかも!?」と思ったのだった・・・。
--
いまから十年近く前のお話。

高校を卒業してから美大予備校に通ってみたり、
フリーターと称して遊び歩いたりしていたのだが、
そろそろ将来の事を真剣に考えようと思い、
知人の紹介でなんとなくデザインの学校に入った。
卒業後、就職するも試用期間中にブチ切れてやめ、
再就職するものの半年もたたないうちにやめちゃうような
こらえ性のないびびさんの事を見ていて、
親はきっと
「もう、こいつはどうしようもない。ダメだ!ダメダメッ」
とか思っていたに違いない。
その後、もののはずみでイラストレーターになり、
こまごまとした仕事を色々とやるようになったのだが、
いっこうに金にはならず。
実際やってみると、
イラストレーターは
専業で人並みな生活ができる人はほんのひとつまみで、
わりと有名なイラストレーターさんでも
兼業の人が多い事を知ったのだった。
それなのにわりと「お洒落でステキな職業」とか
勘違いされてるフシがあり(自分もそう思っていたけど)
とても不思議だった。
そもそも「何か作りたい」と思う事って、
理屈じゃ説明できないとても衝動的な事で、
理由なんてない。
まして、それがお洒落かどうかとか、
金になるかならないかっていう事とは
全然関係ない事だと思う。
でも、商業ベースにのってそれをやろうとすると
、話は全然変わってくる。
生活ができるくらいの収入が得られないと、
ものすごく困るし、
稼ごうと思って出過ぎると飽きられ、
篭りすぎると忘れられる。
当時は
「絵を描いて、雑誌や広告につかってもらえて、
それでお金ももらえるなんてステキ」
とか思いつつ、
生活のために借金をしたりバイトをしながら、
絵の仕事を続けていたのだった。
そのうち、本の装丁やCDのジャケットに
自分のイラストが使われるようになって、
実際に商品として販売されたのだ。
本の仕事は小さな仕事だったけど、
装丁から挿絵まで全部僕が描いて、
それが、とてもとても嬉しくて、
親にさっそく報告すると・・・。

とか

とか
一緒に喜んでくれて、10冊くらい買ってくれるとか、
なんかそういう親バカなリアクションを
淡く期待していたびびさんは、
ガッカリしてしまい、
それ以来、親に仕事の話をするのはやめたのだった。
その時に、唯一、手放しで喜んでくれたのがオババだった。
いまでも宝物にしている、当時オババが送ってくれた手紙。

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自分で蒔いた種とはいえ、
仕事もなく生活費と酒代捻出のために借金をして、
本気で「明日食べるものがなにもない」という状態。
お金を借りて払わないと、
ガスも電気も止まってしまう。
あるのはほんのり見えてきた夢と、
空回りするやる気だけ。
でも、こんなにダメな自分も、
「頑張ったらこの先なにかあるんじゃないか」と
小さな希望を見出しかけた時期だった。
「どうしたら上手に生活できるか」なんて
まるきり分からなくて、
毎日わけのわからない不安と
ひたすら向き合って、心がちぎれそうだった。
そんな時に送られてきた
オババの手紙を読んで僕は号泣した。

それから、オババは僕のなかで、
少し特別な存在になった。
・・・が、その手紙、宛名面を良く見ると。

僕と母の「勘違い・思い込み・ウッカリ」は、
このあたりから脈々と受け継がれているものの
ような気がするのだった。
つづく
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田舎からオババが上京してくる日を
すっかり忘れていたびびさん。
オババにモンジロウを会わせようと、
愛犬モンジロウと一緒に実家へ帰るが、
家族にちょっぴり冷たくされ
「うちの家族、犬が嫌いなのかも!?」と思ったのだった・・・。
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いまから十年近く前のお話。

高校を卒業してから美大予備校に通ってみたり、
フリーターと称して遊び歩いたりしていたのだが、
そろそろ将来の事を真剣に考えようと思い、
知人の紹介でなんとなくデザインの学校に入った。
卒業後、就職するも試用期間中にブチ切れてやめ、
再就職するものの半年もたたないうちにやめちゃうような
こらえ性のないびびさんの事を見ていて、
親はきっと
「もう、こいつはどうしようもない。ダメだ!ダメダメッ」
とか思っていたに違いない。
その後、もののはずみでイラストレーターになり、
こまごまとした仕事を色々とやるようになったのだが、
いっこうに金にはならず。
実際やってみると、
イラストレーターは
専業で人並みな生活ができる人はほんのひとつまみで、
わりと有名なイラストレーターさんでも
兼業の人が多い事を知ったのだった。
それなのにわりと「お洒落でステキな職業」とか
勘違いされてるフシがあり(自分もそう思っていたけど)
とても不思議だった。
そもそも「何か作りたい」と思う事って、
理屈じゃ説明できないとても衝動的な事で、
理由なんてない。
まして、それがお洒落かどうかとか、
金になるかならないかっていう事とは
全然関係ない事だと思う。
でも、商業ベースにのってそれをやろうとすると
、話は全然変わってくる。
生活ができるくらいの収入が得られないと、
ものすごく困るし、
稼ごうと思って出過ぎると飽きられ、
篭りすぎると忘れられる。
当時は
「絵を描いて、雑誌や広告につかってもらえて、
それでお金ももらえるなんてステキ」
とか思いつつ、
生活のために借金をしたりバイトをしながら、
絵の仕事を続けていたのだった。
そのうち、本の装丁やCDのジャケットに
自分のイラストが使われるようになって、
実際に商品として販売されたのだ。
本の仕事は小さな仕事だったけど、
装丁から挿絵まで全部僕が描いて、
それが、とてもとても嬉しくて、
親にさっそく報告すると・・・。

とか

とか
一緒に喜んでくれて、10冊くらい買ってくれるとか、
なんかそういう親バカなリアクションを
淡く期待していたびびさんは、
ガッカリしてしまい、
それ以来、親に仕事の話をするのはやめたのだった。
その時に、唯一、手放しで喜んでくれたのがオババだった。
いまでも宝物にしている、当時オババが送ってくれた手紙。

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自分で蒔いた種とはいえ、
仕事もなく生活費と酒代捻出のために借金をして、
本気で「明日食べるものがなにもない」という状態。
お金を借りて払わないと、
ガスも電気も止まってしまう。
あるのはほんのり見えてきた夢と、
空回りするやる気だけ。
でも、こんなにダメな自分も、
「頑張ったらこの先なにかあるんじゃないか」と
小さな希望を見出しかけた時期だった。
「どうしたら上手に生活できるか」なんて
まるきり分からなくて、
毎日わけのわからない不安と
ひたすら向き合って、心がちぎれそうだった。
そんな時に送られてきた
オババの手紙を読んで僕は号泣した。

それから、オババは僕のなかで、
少し特別な存在になった。
・・・が、その手紙、宛名面を良く見ると。

僕と母の「勘違い・思い込み・ウッカリ」は、
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人気Blogランキング | 【絵日記】 びびび与太話 | comments:1 | trackbacks(-) | TOP↑
私も頑張れそうな気がしました
はじめまして、みおと申します。いつも楽しく読んでいます。率直な気持ちや見解を明晰につづっていらっしゃって尊敬しています。
この日記は特に素敵でした。
丁度今自分の将来や選択を不安に思っているので、私も手放しで愛してくれる肉親から手紙をもらったつもりで頑張ろうと思いました。
家族が、家族じゃなくてもいいから一人でも応援してくれる人がいれば、何か報告したいなって言う相手がいれば、生きていける気がしました。
数年前の日記へコメントするのは変な事かもしれませんが、今後もきっと見返して、良いなあと思えるページなので、書き留めます。
それではどうぞお元気で!
| みお | 2012/04/14 19:53 | URL | ≫ EDIT